1975年  イラン・ダマバンド峰強化合宿

木村 博

 イランとのヒマラヤ遠征計画には、チームワーク、登山技術、食糧事情などの事前確認が必要で、隊員候補者の高度順応のためもあり、実施された。

目 標 : イラン・ダマバンド峰(5,671m)強化合宿
期 間 : 2月23日~3月15日 (うち現地入山期間は5日間)
メンバー: 木村博、×総指揮 丹部節雄、隊長 吉沢一郎、副 国島陽三、柳沢直幸、佐藤善則、風間毅、イラン側10名

行動概要:
 24日~26日は装備食糧などの打ち合せ。
 27日にテヘランから砂漠のなかをバスで、ダマバンド峰の麓、レイネ村のイラン山協のシェルター(山小屋)へ。

 28日、軍用トラックで10kmほど登り、そこから馬4頭で共同装備食糧を荷上げ。3,150m、雪のない地にイラン製テント3張、日本製2張を設営。
3月1日 猛吹雪。朝、イランのテントは全部ポールが折れてつぶれていた。全員日本側テントで待機。図らずもテントの中は交歓の場となり、賑やかになる。
 13:00 C1設営のため、風のなか行動をおこす。日本、イランそれぞれ3名。3,700mに設営。

 2日 風雪のなかC2(4,250m)設営。柳沢、木村とイラン2名。イランのテントはなく、日本のツエツトだ。
 3日 風雪やまず、BCと交信しながら頂上に向かうが、イラン側の一人が体調不良に、木村は付添って下る。残る2名はアンザイレンして5,400mまで登ったが、風雪が更に強くなり視界不良もあり、イランメンバーは経験豊富だったが、登頂を断念。

 下山後、顔面凍傷のまま、将校クラブで名士200名の大歓迎パーティー。
 8日 イラン三井社長宅で晩餐を頂いたあと、テヘランからカトマンズへ。ポカラなどにも行き、ネパールに数日滞在して
15日、帰国。イランとの交流はその後の遠征に大変有効だった。

ダマバンド峰(5,671峰)富士山のように秀麗だ