8月22日~24日マッタホルン北壁
L,影山、山田、押谷
   
 8月22日:快晴、ヘルンリ小屋を3時45分出発、氷河入り口のコルからは既に3つのラテルネが我々の行く手に見える。ポーランド人の3名であった。彼等に先行して貰う。氷河台地から膝近くまでの新雪をふんで取り付きまでトラバースした。明るくなるまで少し待って5時15分登攀開始。

 下部氷壁は10ピッチダイレクトに登る。ポーランド人が先行する。5ピッチ目辺りから氷壁が蒼氷になってきた。10P目で岩混じりになり、右斜上を始めた。単調な氷壁登攀を繰り返し、19P目で右手のガラガラの岩場の助稜へ、大クーロアールに入り、中程に達する頃夕闇が迫ってきた。寝ぐらをさがして、もう1P、もう1Pと登る。29P目大クーロアールをあと2Pで抜け出る場所でビバーク。

 8月23日:曇後吹雪、大クーロアールを2Pで、クーロアールは左側(ヘルンリ側)に曲がり、遥か上部まで突きあげている。氷壁登攀はおちてくる粉雪との我慢比べだった。直上してクーロアールから抜けだし左手からのジェードルを登り、岩壁を右に4~5Pトラバースを行い、ルートを見失った。試登を繰り返したが、氷の付いた垂直気味の氷壁に取り付くことにした。

 北壁中の最悪のピッチだった。今にもずり落ちそうになるのをこらえて、四つん這いで必死に抜け出た。右に、右に延ばすと小岩稜にでた。アンサウンドロックの岩稜を右に左に斜上し、18時30分ビバークの準備にかかった。ツムット稜から数P下である。さしもの吹雪も収まり、氷と岩をかたずけビバーク。深夜になっても後続のポーランド パーティーは登攀をしているようだった。

 8月24日:快晴、極寒の夜はあけた。「さあ、今日はツエルマットの街に帰っていけるぞ」と元気に登攀にかかる。上部にはなんとポーランドパーティーが登っていた。昨夕は5~6P我々の下にいたから、一晩かかって10Pほど登ったことになる。それにしてもムチャクチャな行動には驚かされた。

 ダイレクトに4P登り、ツムット稜の黒い岩峰にでた。岩峰の下を回り込んで雪壁を3P、9時30分頂上にでた。絶景の大パナロマには呆然と立ち尽くすだけだった。11時下降につき途中ポーランドパーティーに追いついた。彼等は一人が凍傷にやられたようで、ソルベイ小屋からヘリコプターで救出された。ヘルンリ小屋着15時。

マッターホルン北壁

(影山)

9月26~30日 アラムクー・4840m・北壁(イラン・エルブルース山系)
L.影山、押谷

 9月26日:テヘラン~ルードバラック、IMF(iran/mountaineering/federation)に向かいアディレとアップドリー両氏に会う。その後、サディレアン将軍(IMF会長)の国土地理院を訪問した。テヘランから300kmルードバラックに着きIMFのシャルテルになっているサファール氏の家に泊まる、テヘランからIMFのガイドとして、アップドリーが同行してくれた。

 9月27日:ルードバラック~小屋・3800m、山田、影山、押谷とも酷い下痢。

 9月28日:小屋~氷河上シャルテル跡BC・4000m、全員がBCに入ったが登攀メンバーは当初の影山、山田から影山、押谷に変更した。山田は下痢で歩くのがヤット。

 9月29日:4時に起きたが、頭痛がひどく出発を見合わせ再び寝る。9時頃寝ていても暑くて寝ていられなくなり、外にでて少し体を動かしていると頭痛が軽くなってきた。10時30分下部氷壁の基部に着き登攀開始。160mの氷壁を4Pで抜け。岩壁の基部から5級の垂直のルートを5Pで凹角内の氷を削りビバーク。狭く、寒く1時間ほどウトウトしただけだった。

 9月30日:7時登攀開始。7~8Pはフリーと人工のミックスで厳しい。9P目厳しいフェイスをジリジリと登り、35mザイルが伸びた後、数mでテラスがあると言ってきた。雪の付いた岩肌に立つところで、「アッー・・」との声と共に3個所のビレーピトンを次々と引き抜き、一気に70mを墜落。私は肩がらみで確保していたが、目の前を落下していく影山を見て、もう駄目だ、と思うも必死で確保。アンカーレッジから1mずり落ちて、2本のピトンに採ったセルフビレーのおかげで奇跡的に止まった。

 ザイルには影山の70kgの体重がかかって、私の胸は圧迫されている。「影山!」と大声で呼び続け1分ぐらいで「ウッ」と唸り声が、3分くらいでザイルが緩む。急いで元のアンカーレッジに戻り、メインザイルを固定する。一安心だ。15分もすると影山もヤット正常に戻ってきた。怪我の程度を聞くと、腕と足の骨は折れている様子はなく、なんとかアップザイレンはできるとのこと。7回のアップザイレンで氷河の上端のラントクルフトに降り立った。氷壁を下り、影山はすっかり元気になり、一人で歩いてベースに下った。が、やがてイラン陸軍ヘリで救助されて、大騒動となる。

(押谷)