2003年 友人とアコンカグア 6959m

野邊 敦史

  同じ大学時代の仲間だった、村上氏と南米最高峰のアコンカグアを目指すことにした。彼は前年キリマンジャロに登頂していた。

期間:2003年12月26日~2004年1月11日
メンバー:野邊敦史、×1名(村上清敬)

行動概要

 12月26日~27日:成田空港~北米~チリのサンチャゴ~メンドーサ。日本から40時間。
28日:メンドーサで登山準備。登山許可、食糧購入(主食は日本から持参)、ムーラ(ポーター)の手配、ガスストーブのチェック、燃料購入などをする。
29日:メンドーサからバスで登山口のロスオルコネス(2900m)に向かう。ポーターの車を乗継ぎ、ロスオルコネスより歩く。コンフルエンシア(3300m)。日没は21:30頃。

 30日:コンフルエンシア~プラザフランシア(4500m)~コンフルエンシア。高度順応のためプラザフランシアに入る。アコンカグア南壁が見える。コンフルエンシア泊。

 31日:コンフルエンシア~BC(4230m)。9時出発、平坦で乾燥した道を16:30、BCに着いた。深夜寝ているとき、年が替わり、花火でお祭りになった。

 1月1日:BC~ 5100m地点~BC 9.00出発。今日から高度順化だ。1時間250mのペース、空身で登る。

 2日:BC~C1(5300m)~5475m地点~BC。9.00出発、村上氏はステイ、今日は順化とアタックへの荷揚げを行う。C1からのアタックだったので10kg程度だ。C1に12.35。荷をデポしてから30分ほど上に登って15.15、C1に戻った。

 3日:BC 私がstay。村上氏が上部へ向かった。然し頂上へは無理と判断して途中までだった。彼は少し離れたホテルに泊まり、私のアタック中はホテル泊。

 4日:BC~C1(5300m)。アタックに向け9時出発、C1へ向かう。今年は雪が少なく頂上まで雪は無いらしい。今日は全装備を背負っているので多少しんどい。

 5日:C1~C2(5800m)~C3・インデペンデンシア小屋(6250m)~トラバース(6300m)~グランカナレータ(ガレ場)~山頂(6959m)~C1。 6:00暗い中を出発、昨晩、雪が降ったが積もっていなかった。インデペンデンシア小屋(C3)に10.00。
ピークが目の前に見えている。「この調子なら大丈夫だ」。石のゴツゴツしたジグザグ道を登り、頂上を見上げて回り込んだ。グランカナレータに至るトラバース道だった。傾斜のあるガレ場、グランカナレータからはパーティ-が多く、遅いパーティを追い抜く。かなり苦しい、喘ぐようにして南峰ピークに出た。程なく小さな銀色の十字架が現れて山頂であることが分かった。14:00だった。
息が上がっていた。後から登ってきた外人さんグループとハグをして喜びを分かち合った。十字架のそばの箱に入っていたノートに名前を記して30分後下山。ルートミスも有りバテバテで18:00C1に着いた。村上氏はC1まで登ってきたらしく、テントの中に祝福の伝言があった。

6日:C1~BC
7日:BC~コンフルエンシア
8日:コンフルエンシア~メンドーサ、ホテルでステーキとワインを楽しみアルゼンチンの街を楽しんだ。
9日~11日:メンドーサ~成田