2000年 悪天に阻まれたダウラギリⅠ峰(8167m)

  1965年会創立60周年記念行事として海外登山の計画も出たが、延び延びになっていた。1998年カナダ、1999年アルプスなどの海外登山が行われ、気運は高まり、ガッシャーブルムⅡ、チョー・オユーなど無酸素の日本人最高齢登頂者の鈴木(孝)が計画を立ち上げた。ルートは1960年スイス隊が初登した北東稜。そのあ後数々の登山隊が登頂しているが、会としては初の8000m峰の挑戦になったが。

期 間:2000年8月30日~10月23日
メンバー:隊長・鈴木孝雄、高橋優、野邊敦史、鈴木美代、淵田芳文、吉村賢、
        ×大阪山の会(谷口守、柳原武彦、木本哲、中村広)

行動概要

8月30日:カトマンズ

9月2日:カトマンズ~ポカラ。14時にコスモトレックを出発。ポカラではチベットリゾートホテル泊。夜は「菊」で壮行会 連日の宴会だった。

3日:ポカラ~ジョムソン(2700m)~マルファ(2670m)~ヤクカルカ(3680m)泊。ポカラからジョムソンまで小さなプロペラ機で行き、マルファまで戻って昼食。石畳を登りだし、ヤクカルカに上がるが、まだ余裕で野邊はマスクをつけトレーニングしながらの登高だった。夜は御馳走で食べきれなかった。

4日:ヤクカルカ~高度4400m~ヤクカルカ 高度順化の為もう1泊する。8:30に出発、4400m地点には11時に着き、戻った。

5日:ヤクカルカ~4100m地点 泊。8時出発、頭痛はあるが呼吸はまだ大丈夫のようだ。今日は4100mでキャンプに決め、設営後元気な高橋、孝雄さん、野邊もすぐに上に向かった。吉村は頭痛でテントにこもった。

6日:ステイ 4100m地点、午後からはガスガスから雨交じり。

7日:4100m地点~4600m地点往復。7時30分出発。9時には4600mまで上がったが雨に変わり又頭が痛くなってきた。15時テントに戻った。高橋が食べ物、飲み物を受け付けずマルファまで下山した。

8日:4600m地点からタトパス(5250m)~ヒドンバレー(5100m) 12時45分出発を決め、2時間半後タトパスを越え広い草原地のヒドンバレーに着いた。雪から小雨にかわっていた。淵田が出発後30分にて腹痛を訴え下山すると言い出した。

9日:雪が降っているので停滞。雨が続き明日も期待できそうにもないので、吉村はフレンチパスまで行かずに明日下山することにした。(ここまで吉村記)

10日:ヒドンバレー~フレンチパス(5360m)~BC(4740m)、50cmの積雪のフレンチパスを越えBC入り。BCの建設開始。

14日:BC開き

17日:C1(5877m) 懸垂氷河を突破し、北東コルに建設。この頃より天候は午前中には晴れ間が覗かせるようになったが、午後は雪。

20日:C2(6500m)稜線上のクレパス帯の上にテント2張建設。

10月2日:C3(7400m) 建設 アタックに備えBCにて休養入り。

10月3日:荷揚げに向かっていたシェルパ4人中1名、C2手前の3ピッチのフィックスの有る箇所にて雪崩に巻き込まれ行方不明になる。

サーダーの努力にてシェルパをなだめ、励まし登攀活動再開するが、天候不順、積雪と強風でC2崩壊。隊員はピッケル、アイゼンも掘り出せず、スコップをピッケル替わりに避難。2000m近いフィックスも埋まってしまった。

10月15日:名古屋隊予定日程消化、BC撤収下山(野邊のみ残留)

20日帰国

10月19日:大阪隊と野邊隊員 予定日程消化BC撤収 23日カトマンズ

今シーズン3隊が入山したが登頂に成功した隊はなかった。
韓国隊:雪崩にて隊員1名行方不明 登山活動中止 南東稜
フランス公募隊:天候不順にて中止 北東稜