1993年  アリューシャン列島の山へ
長野山協 イサノトスキー峰(2471m)初登頂                   

加藤 幸彦

 カナダ西部の小都市ケローナで早期定年後の自由な生活を妻と共に楽しんでいたある日、長野の吉沢一郎と長野県山岳協会会長の田村宣紀から思いもよらない内容をしたためた手紙が届いた。彼らには、20数年にわたって温めて来た計画があり、私にも協力欲しいという。「ベーリング海の首飾り」といわれるアリューシャン列島の未登の山々に日本から遠征隊を出すと云う計画だった。

 アリューシャン方面を統括するアメリカ太平洋艦隊司令部へ、アンカレッジから飛行機でダッチハーバーに着き、グリズリーベアハンターとの契約、移動のための小型飛行機1機とブッシュパイロットとの契約、希望する6つの島への渡航許可と2つの大旅行で全ての準備を終え、朋友に報告した。

隊の名称:長野県山岳協会アリューシャン列島登山、自然調査隊
期間:7月9日~9月2日
メンバー:加藤幸彦(隊長)×長野県山岳協会 総隊長:吉沢一郎、副隊長:宮本義彦、隊員:船田正志他5名、(自然調査隊)中村清志他2名、(報道隊)中村賢二他2名、(現地協力隊員)スコット・クー、(アラスカ大学火山学者)ジョン・リーダー

行動概要:
7月10日~11日:アンカレッジ~ダッチハーバー空港、
7月14日:A隊ユニマック島上陸、AC設営、
7月15日:B隊 ウナラスカ島、マクシン峰(2036m)登頂、
7月20日:A隊 イサノトスキー峰(2471m)初登頂、B隊 飛行機でアクシント島へ。アクタン峰(1296m)登頂、7月22日:A隊 シシャルディン峰(2889m)第2登、
7月27日:ウナラスカ島でA、B隊合流、
8月3日:ウムナック島、レチェシノイ峰(1982m)初登頂、ウムナック島、ベスビドフ峰(2149m)登頂、
8月11日:アトカ島、
コロビン峰(1533m)登頂、アトカ島、クリューチェフ峰(1451m)登頂

「ヒマラヤ遠征隊長が務まる人間は日本にいくらでもいるが、アリューシャンの遠征隊長が務まる男は日本にいない。お前が引き受けろ」というファックスが吉沢から来た。山登りを始めて40数年、遠征隊の派遣が実施されるその年には私は60歳の還暦を迎える。

小型飛行艇が足。ゴムボートで上陸する

 

 ヒマラヤと違って全く未知の世界に分け入ることに興味をおぼえ、遠征隊長を引き受けることにした。

 この列島はベーリング海と太平洋の狭間にあって、双方の海流が常にぶつかり合うため、世界に稀にみる悪天候の領域だ。漁業関係者の間では「低気圧の墓場」と呼ばれ、登山には最も適さない領域であった。目標とする山の標高は穂高岳を下回るが、アリューシャンは海岸線から登り出すため、実際の登攀は穂高の倍近い高度差になる。プロのグリズリーベアー・ハンターに守られながら行動した。

7月17日 今回最大の目標、未踏峰のイサノトスキーは、私、宮本、浮須、武井の4名。前進キャンプではエベレストのサウスコルにも勝る烈風とみぞれの猛威に48時間も晒された。

7月20日 雪と氷と岩のミックスした不安定な稜線。ザイルをつないだ仲間も見えない程の濃いガスの中を登り続け、ついに登りがなくなったところに到着した。一人が立てるほどのスペースもないので、4人が頂上に手をついて登頂成功の喜びを分かち合った。

その後、隊として諸島の山々に登頂し、目標を100%達成出来た。

ユニマック島に上陸、イサノトスキー峰を望みながらACを設営

[会報100号(2009年4月)より]