1993年  JAC東海支部 皇冠峰=クラウン峰 7295m
東壁から初

有富 保之

隊名:JAC東海支部・日中友好皇冠峰登山隊
メンバー:有富保之、中川邦人× 総隊長徳島和夫 他11名
日 程:1993年5月17日~8月30日

行動概要
5月29日:BC(4100m)開き
6月 9日:ABC(4,400m)開き
11日:C1(5,100m)設営。クラウン氷河上に建設。
22日:C2(5,800m)設営
7月14日:C3(6,350m)設営
    22日:第1次登頂(有冨含む)
 27日:第2次登頂(中川含む)
 28日:第3次登頂。29日:第4次登頂、14名全員の登頂を果たす。

行動記録
 北京~ウルムチ~カシュガルは飛行機で、カシュガル~イエチェン~マザダーラは車で、マザダーラからキャラバンで6トンの荷物をラクダ69頭で運ぶ。
インスガイティ氷河舌端にBCを設営。ABCまでは13人の低所協力員の力を借りる。
ABCからは、A,B,C,Dの4班に分けて登山活動を開始。

 C3へは東南稜をさけて東壁(ダイアモンドフェース)を選択した。
このルート選択が登頂へ導いてくれた。東面をダイアモンドフェースよりの下部まで延ばしⅣ稜末端に、1/4ぐらいが宙に浮いた状態で6人用テントを設営した。
頭上の岩稜のお蔭で雪崩の危険は少ないものの、標高差1,000mもの大滑り台の上のハミ出した様子から「天空の
城」と呼ぶようになった。

 中川がC3用のテントマットを担いだままこのテント目前で雪崩に流された。
ダンラインロープがきれなかったのが幸いだった。

 7月18日:東壁に入り9P登った最難関の「ジョーゴの口」を鈴木隊員のリードで突破したが、C4の適地は見つからず、C3から頂上へアタックすることに決定した。約900mの高度差である。

クラウン峰

 

アタック
7月22日:C3~TOP~C3 前日、C3に入った徳島隊長、鈴木隊員、有富の3人で2時出発。
徳島、山崎はフィックスの最終点まで空身で先行。
有富がビデオカメラと途中にデポしてあるダンラインロープ2本を回収しながら必死に追った。

「ジョーゴの口」に掛かるワイヤ梯子を登るころには夜が明け始めた。
風とガスで不気味な空だ。ガスの中に2人の姿が見え隠れする先には写真で見なれた頂上直下の巨大な雪庇が見えた。

 14時56分登頂。吹雪の中、3人で握手を交わす。景色は全く見えず、喜びも束の間、急いで下降に入り21時C3着。

 翌日C1へ。体調不良で遅れる私を途中まで中川と中島隊員が迎えに来てくれていた。
この時は、登頂して帰ってこられた喜びと安心感で涙が止まらなかった。

 悪天を挟んで27日、中川、鈴木、酒井、阿部が9時5分に登頂。
風が強く、とても寒いが、視界が抜群で最高とのこと。
28日、29日、第4次アタックまで繰り出し全員登頂に成功した。

クラウン峰ルート図

[会報102号(1999年1月)より]