1990年  八千米峰 52歳無酸素登頂
ガッシャーブルムⅡ峰 8035m

鈴木 孝雄

名 称 :イエティー同人・ガッシャーブルムⅡ峰登山隊 1990
目 的 :ガッシャーブルムⅡ峰(南西稜)無酸素登山、山頂からのパラグライダー降下
メンバー:鈴木孝雄×隊長 遠藤晴行、遠藤由加、田辺治

行動概要
6月12日:日本発
13日:パキスタン
22日:スカルドウよりキャラバン開始
26日:ウルドカス
30日:アプルッツイ氷河上にBC(5100m)設営、 C1(6100m)、C2(6400m)、C3(6900m)、C4(7400m)

26日:C4から登頂、C4に入る
27日:遠藤隊、パラグライダーを試みるが、強風で諦めて下山
28日:BC

登山活動
BCにはⅠ峰を目指す、ワンダ・ルトキェウィチのポーランド女性隊、岡山大学隊、Ⅱ峰のポーランド中心の国際隊、ドイツ隊、チリ隊、ベルギー隊等賑やかである。

第1次アタック
6月19日の第一次アタックは悪天のために退却、第2次アタックは遠藤隊と共同で23日C1迄入り、翌日はC3まで入る。膝以上のラッセルとヒドンクレパスに右往左往して6000mにやっとスペースを見つけC3とする。25日C4迄500mと高度差は少ないが腰までの深いラッセルだ。C4への最後の雪壁はダブルアックスで登る。遠藤隊は放置テントに、我々は遠藤隊のテントを借りて入った。

第2次アタック
26日 C4~TOP~C4、7400mなのにぐっすり眠れた。4時出発。頂上ピラミッドの大岩壁の下を右に大トラバースして東稜に取り付くのである。膝から腰の深いラッセルを半分ほどトラバースすると傾斜は強くなりダブルアックスに切り替える。東稜にでて田辺隊員は頂上に向けて広い斜面をジグザグにラッセルをして登って行く。遠藤夫妻も後を追う。ふと横を見ると雪面になにか大きな字が書いてある。「先生、無事に降りる自信がないなら、ここから降りて下さい」。田辺が私を心配して書いたものらしい。私は彼の心配をよそにマイペースで登っていく。直下80度近い雪壁にピッケルを打ちこんで這い上がるとナイフエッジである、馬乗りになり、よく見ると目の前が頂上だった。下の、窪みになった風の当たらない安定した場所に3人が待っていてくれた。田辺隊員は頂上に一番乗りして、それでも私が登ってくるものと信じて、1時間近くも辛抱強く待っていてくれた。ガッシャーブルムⅡ峰は、私にとって“友情の山”になった。持ってきた旗に全員でサインをした。私は特に52歳無酸素登頂」と書き記念撮影をした。快晴無風、11.30から12.45まで頂上でのんびりした。下山は各隊スタカットでC4へ、16.45着。

[岳人521号「52歳で夢を実現 ガッシャーブルムⅡ(8035m)無酸素登頂」より。会報100号(2009年4月)より]

毎日新聞(1990年9月8日付、夕刊)