1969年  台湾・訪華親善登山

期 間 1968年12月18日~1969年1月22日
メンバー 鈴木真吾(隊長)、牧野勝昭、大野皓市、影山淳、松田勝義、

12月18日 牧野、影山の先発、名古屋駅~鹿児島。隊荷90kg
23日 台湾・基隆港着。三泊四日のオンボロ船の旅。秋田隊、宮崎隊も。
28日 本隊3名、大阪空港から台北入り。
29日、岩手大隊とマイクロバスで玉山へ、林志廊氏(台湾山岳協会)と行動開始

31日  排雲山荘に到着、山荘前にテントを張りBCとする。
          苦労して水を運びあげたが、近くに水は有った
1月 1日 雪はなく、ピッケル、アイゼンはテントに残し、全員で玉山主峰(3997m)登頂。
    その後、東山(3940m)へ鈴木真、影山、林、北々山(3910m)へ牧野、大野、松田と、
    それぞれ登頂する
2日 南玉山(3815m)へ牧野、松田、南山(3900m)へ大野、影山、
   北山(3920m)へ鈴木真、詹正俊(山荘管理人)が、それぞれ登頂。
   夕刻、台湾大学の学生4名が帰らず、浦和隊、静岡隊とで救援活動をする。
   道に迷った4名は20時無事山荘に収容した。

玉山

玉山周辺概念図

 

3日 BC撤収~阿里山。
4日、ディーゼルカーで台中。
5日、バスで環山。台山協の林さんが都合で帰られ、
   代わりの人につて夜遅く巡査が来て 揉めたが、現地ポーターを雇うことにした。
6日 ポーターの黄君と、山火事跡の登山口から急峻な尾根を登り、2600mの賽蘭酒にBC設営
7日 黄君を含む6名全員で雪山主峰(3884m)登頂。大野、影山は雪山北峰へ向かう。
    帰路についた4名は北峰パーティーのため赤布を要所、に残しつつ下山。
    北峰(3702m)登頂後、少し下って焚火をしながらビバーク。
8日 北峰からBCに帰着、午後BC撤収、環山へ下山

雪山

 

 

 

  

 

雪山周辺概念図

 

9日 4時間のバスで東海岸の宣蘭に入り、登山用具を整理、台北へ送る。
  明日からは二つのパーティーに分れてツアー行動し16日台北に集結。
18日 台北空港から全員離台。鈴木真、大野、松田は大阪空港着。牧野、影山は沖縄へ。
22日、船で鹿児島上陸、帰名。

[月報 18号(1969.4)より抜粋]