1968年  困難を克服したペルー・アンデス
加藤幸彦/加藤英生

  不順と言われた今年の天候の中で、一応の活動が出来たのは、非常にラッキーであった。結果から見て(中略)いわば、より困難を求めた「目標とテーマ」がうまく調和して得られた成果だと思っている。(加藤幸)

 海外遠征なんて金と暇があり、学問もあって、頭の切れる連中の専売特許のようなもの、私にとっては”夢“に過ぎないと考えていた。しかしこの4,5年前から観光外貨の自由化とともに一見、金も暇もなく、頭もさして良いとは思えない連中、当会からだけでもヒマラヤ、ヨーロッパアルプス、ニュージーランドと、毎年の様に出て行った。次はアンデスだと会のムードも高まっている。夢は大きく膨れ上がっていったが、休暇、家族、資金のこと等々、問題が多すぎる。(中略)“えゝい、乗り掛かった船だ、何とかなるわい”と、この計画にやみくもに向かっていった。(加藤英)

期  間 5月1日~11月6日
メンバー 加藤幸彦(隊長)、加藤英生、×5(曽我謹昭、朝日功、牧野仁雄、山本積、武田睦男
 5月 1日 横浜を出航した邦山丸の朝日、牧野、山本は6月11日ペルーのカヤオ港に上陸、
               隊長の加藤幸と合流、通関業務
   19日 加藤英、武田、曽我、横浜出港、34日間の船旅で6月21日夕刻、カヤオに
   25日 空路クスコ入り、ピンコパタへ
   27日 加藤幸、空路リマ入り
  6月27日 ピンコパタからBCに全隊員と隊荷集結した

 

サルカンタイ峰(6271m)南稜より初登頂

6月27日~7月20日 加藤幸彦、加藤英生、曽我謹昭、朝日功
 このサルカンタイ南稜は、アンデスでも最も困難なルートの一つであると思う。とくに5300mから5900mの間は非常に荒れており、不安定な氷と雪のため極度に困難であった。さらにこのちょうど中間には、高さ約100mの大氷塔があって、この通過が南稜で最も重要なポイントであると思われた。
BC(4550m)、C1(5300m)、C2(5600m)、C3(5770m、雪洞)
 7月17日(晴のち雪)サルカンタイ峰南稜初登頂に成功。

登攀具:フィックスド・ロープ(1800m)、スノーバー(70本)、アイスハーケン(50本)使用

サンカルタイ南鐐 大氷塔
(曽我撮影)

 

ソライ峰(5830m)南稜より初登頂

7月22日~8月6日 加藤幸彦、曽我謹昭、牧野仁雄、山本積
 ロングコースで、頂上付近、約300m程は非常に困難であった。
BC(4100m)からC1(4950m)までのルートは錯綜しており、ルート・ファインディングが難しい。

 私たちは雪稜と雪壁に200m程ロープをフィックスして、第二コルへダイレクトに達した。
 C1上部の稜線は岩塔と氷塔が乱立しており、この部分の工作に3日間を費やし、そしてすべてフィックスド・ロープが必要であった。この部分を終えるとC2(5350m)まで雪稜が続く。とくに険しいところもなく困難ではない。
 C2から頂上までは、最上級の登攀が要求される最も困難な部分である。リッジ通しに進むことができず、また最後の300mはオーバーハングした個所が数多くあって、部分的にはサルカンタイ峰登攀の時よりも悪い所があった。

 8月4日(晴のち雪)ソライ峰南稜より初登頂に成功。
登攀具:フィックスド・ロープ1500m、スノーバー64本、アイスハーケン64本

ソライ南稜 C2より
岳人256号(1968.11)より

 

ワスカラン南峰(6768m)、ワスカラン北峰(6655m)

8月26日~9月2日 加藤英、武田(南峰)、加藤幸、山本、牧野
 私たちの目的はノーマル・ルートからのラッシュ・タクティクスにより登ることであった。
 ワスカラン登山期間中、天候は非常に悪く深い雪に悩まされたが、技術的な困難さはなかった。
 BC(4300m)、C1(5300m)、C25900m)
8月30日(晴のち曇のち雷雨)ワスカラン南峰・北峰に登頂

 

ネバド・ピスコ峰(6000m)中央稜より初登頂

9月7日~8日 加藤幸、牧野

 4200mのところでBCを設け、9月7日の朝、登攀を開始し、5400mの地点でビバーク。
翌8日(晴)夜明けと同時に登攀を開始し、10:30登頂に成功した。
 私たちはこのピスコ峰のノーマル・ルートを知らない。
なお、この中央稜はセントラル氷河にストレートに落ちていた。

 

ヤナパクチャ北峰(5350m)
9月7日 曽我、山本
[ 山と渓谷1968年12月 登攀月報、岳人258号、月報13~30号より抜粋 ]

 

SOUTU-EAST-VILCABAMBA

岳人256号(1968.11)より