第12次インドヒマラヤ登山隊 参加報告
鈴木美代
期間:2014年6月15日~7月18日
メンバー:鈴木美代、JAC東海支部(星一男、土屋昌代)
2013年の12月に入ったころ、JAC東海の鈴木常夫さんより、インドヒマラヤのお誘いをいただいた。その年6月には1993年のインドヒマラヤ遠征の時にお世話になったファテチャンタクール氏が落石でなくなっており、こちらも余命どれだけあるかわからないので、行けるときに行っておこうと、話に乗った。その後は準備(主に金策)に日々を費やし、6月15日成田よりANAでインドに向かった。メンバーは、隊長星一男、それに土屋、鈴木の3名である。
登頂記
16日深夜にデリー着。18日陸路マナリに移動し、準備、高所順化。23日よりキャラバン開始。普通はバタルまでは車で一日で往けるのだが、今回は早めの設定のため途中雪で車が入れず、バタルまで3日かけて歩いた。25日バタル着、一日ステイして27日BC入り。7月2日C2設営、7月4日、頂上アタックとなった。
7月4日。2時起床3時出発。
当初は、C2サイドのピークがそれであろうと思われたのだが、土屋のスマホのGPSや鈴木常夫氏に頂いたマップなども検討すると、どうももう少し上のような気がする。そこで、前日、もうひと峠こえてみた。するとそこに、いかにもな峰が現れた。そうなるとC2からの距離が少し遠い。で、この早朝出発となったわけである。
今回の遠征では、登るべき山を決定するところが核心部であった。登攀そのものは有能な現地スッタフがみんなやってくれて、なーんだ、というようなものだった。
目的のピークから降りている尾根の側面の雪壁にFIXをはって(もらい)、上部1pちょっとしたガレを登って稜線に出る。出発から5時間、頂上の望める小ガレ場で休憩。
荷物をデポし、ここからはコンテで頂上に9時。全員で写真を撮り、ヤシの実で乾杯した。上空一部雲はあるものの天気は上々で、周りの山々もよく見えた。
下山も往きに残したフィックスを使う。リエゾンのガジェが、このピンは頼りないから絶対テンションかけるな、というので、“下降器しっかりセットして体重かけないのはつらいんですけど”と思いながら、手で下降器を引き下げつつ下った。ことほど左様に、ガイド、リエゾン、ハイポーター、皆で手取り足取してくれるので、なんだかな、という感じではあったが、無事に下山でき感謝している。
6090m、一応未踏峰ということで、ピァクシと命名した。ラホール語で“隠れた”という意味らしい。なかなか登る山が見えてこなかったことによる。もう一つ、恥ずかしがりの女性という意味もあるらしい。今回のメンバーの二人の女にはちょっとあてはまらない。