2006年 イラン・サバラン 峰(4811m)に遊ぶ
木村 博
イランの名峰、サバラン峰4,811m(イラン第3位の高峰で、人気は高く、日本ではさしずめ奥穂高岳か)にGDM田村さんが創った「山学山遊会」10周年記念と、日本・イラン合同マナスル遠征1976年の30周年の節目ということで誘われ、イランの友人に会うことも楽しみと、参加させてもらった。
期間:7月27日~8月10日
メンバー:木村博×8(山学山遊会) 隊長:田村宣紀、田中基善、春原岩冶、北条昭吾、武田芳彦、細野武文、鳥羽あつ子、李建華(中国・北京)
7/27 晴。午後成田発Iran Air。北京で李さんと合流。深夜テヘラン着。
7/28 晴 44℃。パルビン夫妻(イラン・中国チョモランマ登山隊1978の隊長と奥さん。奥さんはイラン側受入責任者)、らの車で30年前の当時のイラン山岳協会会長サデリアン、副隊長のメヒデイザデーの墓参。イスラムの墓参を初体験。夕方空路タブリーズへ。マナスル・メンバー、ベヒザデ(今回のタブリーズとサバラン峰登山計画の責任者)に再会する。ホテル泊
7/29 晴のち曇り。イラン友人と中型バスでサバラン峰に向かう。新築開店直前の温泉ホテル2,700mに19:45。夕食後、日・イ歌合戦も。食堂の床にシュラフを延べて寝る。22:30.夜半雨。
7/30 曇りのち雨。3,700mのシェルタ(岩小屋)までは車で行けるが、高度順化の目的で歩くことに。ガスが濃くなるなか、石がゴロゴロする草原の斜面を思い思いに直登。途中、遊牧民の羊を守るどう猛な大型犬に吠えられ、横に逃げたりしているうちに雨も降り出し、登高は断念し緊急手配のジープに乗り、雨のなか、とても道とは認めがたい悪路を14:00シェルタ着。濡れ物を室内に吊るしながら遅い昼食。明日の行動戦略が発表され、22:30就寝。
7/31 快晴 4:00。雲なし、風なし。
4:30起床 5:30出発。昨夜渡されたナンと果物の朝食兼行動食を持って。先頭はベヒザデ。踏み跡らしきところをときに岩に両手を使いながら登る。きれいなお花畑が展開している。ときどき雪渓を横断、頂上の噴火口池に到着する。10:40。他の登山者も10名ほどいた。
日・イの国旗を拡げ記念の集合写真を撮り11:30下山開始。少し風が出てくる。
14:45 シェルタ着。暖かいトマトスープを頂き、ジープで下山にかかる。16:15。昨夜泊まった温泉ホテルで入浴、汗を流し、中型バスに乗り、北に向かってからサバラン峰を右回りで半周、南側に廻り込み、温泉リゾート地シャライ(サライ)市のホテル着20:30。
8/1 晴~8/10 概ね快晴、一時雷も。帰国まで、イラン国内観光を楽しむ。タブリーズに戻り、
通訳のサニード、別れが辛いと
涙ぐむベヒザデと別れ、テヘランから空路400年前の首都エスファハーン(日本の京都か)の名所旧跡を巡る。1600mの高地だが日中の気温は42℃~45℃。
南下し、ペルセポリス1800m(2500年前の首都。アレクサンダーに攻め落とされた)などを巡り、空路テヘランに戻り、Iran Airで帰国。北京で李さんと別れ、成田に10日昼到着。 (2006.8.14)