1999年 ネパール銀座・アイランドピーク 6189m
牛澤 菜実
日程が少ないため高所への順応がカギになると思い、事前に1週おきに3回富士山に登り備えた。4,000mあたりまでは調子が良かったが、以降は頭痛やムカつきなど高所の影響が出てきた。食事、生活環境に慣れてきた頃BC入り。エベレスト街道をディンボチェで外れてから1日半でBC入り、連日30人前後が登っているらしく、トレースもついていて翌日の8時に頂上に達した。日程が少なく成功するのも危ぶまれていたが天候に恵まれワンチャンスを生かすことができた。
期間:1999年10月24日~11月7日
メンバー:L牛澤菜実、SL淵田芳文(シェルパ1人、ポーター2人)
10/24 成田~カトマンズ(泊)。エージェントのコスモトレック、シェルバのプルバ氏打ちわせ。
10/25 カトマンズ~ルクラ~バグディン:2,610m(泊)。ルクラまでのフライトは着陸がスリリングだった。ジャリの登り坂を利用してサッサと着陸。機内、飛行場の観衆からも思わず拍手。シェルパがポーター2名を雇い荷物をわける。エベレスト街道は高低差もあまりなく、ハイキング気分でバグディンについた。
10/26 バグディン~ジョサレ~ナムチェ:3,440m(泊)。途中ジョサレにてサガルマ-タ国立公園の領域に入った。ナムチェは登山パーティーで溢れていた。数日前に高所はこの時期には例のないほどの雪に見舞われ、撤退してきたパーティーとのことだった。
10/27 ナムチェ~キャンツマ~タンボチェ:3,867m(泊)。谷間を縫っていた緑深い道から低木のまばらな渇いた道に変わってきた。キャンツマで右に折れ一度下り、橋を渡ってから勝負の標高差600mのナムチェ坂を登り終えると小高い丘に位置するタンボチェだった。この地方最大の僧院ゴンパは威厳を放っていた。
10/28 タンボチェ~パンボチェ:3,985m(泊)。今日の行程はのんびりだった。宿で休んでいると牛が入口から入ろうとしていた。「牛は食べないの?」「神様の使いなので食べない」日本での待遇とは天と地ほどの差があるらしい。
10/29 パンボチェ~ディンボチェ:4,350m(泊)。2日連続ののんびり工程。どんどん草がまばらになり土地は渇き薄茶色の世界になり、空気も薄くなり寂寥感が漂ってくる。
ディンボチェには早くに着いた。明日からはエベレスト街道に分かれを告げローツェ方面のルートを行くことになる。空地では女性達が脱穀をしていた。穀物を棒で叩きザルに入れて頭上からサラサラと落とすと、中身は落ちて穀は風に舞う。何度も何度も繰り返す姿に時間の流れかたがここでは少し違っているようだ。
10/30 ディンボチェ~チュクン:4,743m(泊)。渡渉箇所ではあちらこちら探した末、大きな石を投げ入れて渡った。いつもならこんなに水量はないとのことだった。夕食は食べられないと残した。
10/31 BCキャンプ:5,150m(泊)。朝起床すると淵田君が頭痛を訴えた。様子を見ながら先に進むことにした。両名共ここまで調子が良く今回初めてだった。BCに昼前に着きテントを張る。頭痛をシェルパのプルバに相談すると「スペシャルフード」を差し入れてくれた。食べるととにかく辛い。食後頭痛が消えた。本当にスペシャルだった。
11/1 BCキャンプ~アイランドピーク(6,189m)~チュクン:4743m(泊)。
体調は良く早いうちから出発する。ガレバの中で夜が明け、先に先行パーティーが見えた。淵田君のギアが入れ替わった。いつものことだがゆっくりと休憩することを提案する。回り込むと雪の白い世界にかわった。頂上を右端に置いた台形状の雪原であり雪壁だった。真ん中のトレースをたどり、頂上直下100m程の雪壁にはフイックスドロープも設置してあった。登り切り雪稜50mで頂上に立った。南にマカルー、振り返ればローツェ南壁至幸のひと時、しかし楽しむ間もなく次のパーティに頂上を譲り、チュクンまで降りた。
11/2 チュクン~パンボチェ(泊)。プルバと共にパンボチェの祭りを楽しむ 11/4 パンボチェ~ナムチェ(泊)。シャワー、お酒。小川会長にTEL
11/5 ナムチェ~ルクラ~カトマンズカトマンズ市内観光
11/7 カトマンズ~関西空港~名古屋