1996年 63歳の挑戦、チョモラリ 7326m
長野山協 日中合同チョモラリ峰登山隊
加藤 幸彦
隊の名称:日本・中国合同チョモラリ峰登山隊
期間:8月9日~9月30日
メンバー:加藤幸彦、×長野県山岳協会 隊長 宮本義彦、顧問 田村宣紀、他全17名(含む報道)、
行動概要
8月9日:成田発、北京で中国隊と合流
16日:ラサ~シガツエ~ギャンツエ
17日:ギャンツエ~パーリ~BC
19日:C1(5300m)建設
26日:C2(6300m)建設
9月7日:C3(6850m)建設
9月8日:第一次登頂(初登頂)
10日:第二次登頂
21日:BC撤収
23日:ラサ~成都
30日:北京~成田
63歳のチャレンジ
チベットとの国境稜線や山頂から茶褐色に輝くチベット高原を眼下にするたび「いつの日かチベット側からヒマラヤの高峰に立ちたい」という強い願望を私は持ち続けてきた。最後のヒマラヤ登山から26年の月日が経ったころ一つのチャンスが訪れた。
長野県山岳協会が「白き天女の峰」と呼ばれるチョモラリ(7326m)を日中合同でチベット側から登ることになった。私に高所担当アドバイザーとして登山隊に参加しないかと吉沢一郎から打診があった。私の願望を良く知っていたからだった。
私は登頂以外の目的を自分に課した。デジタルビデオカメラで遠征の一部始終を誰のサポートも受けず、自分一人で撮影することであった。
8月16日、ラサからトラック数台に隊荷を満載し、隊員はランドクルーザーに分乗してBC入りした。
8月26日、難関のアイスフォール(傾斜45度、300mの氷壁)をなんとかくぐりぬけ9月7日には最終キャンプC3を建設した。
9月8日、第一次登頂隊に選ばれた。ビデオを回しながらの登降は体力の消耗が激しく、隊員たちは老齢の「ドン加藤」を置いてけぼりにして、どんどん頂上に進んで行き、頂上まで300mの高度差の地点で登頂隊はガスに覆われ視界からすっかり消えていた。登頂シーンのビデオ撮影は第2次登頂隊に合流するしかない、と思い定め雪洞を掘ってビバークの許可をBCの登山隊長に申請したが、猛反対を受け、泣く泣くC3に下った。
翌々日の10日、第二次隊にも頂上へは大幅に遅れを取りながら、ようやく頂上に到達した。こうして日中友好登山の45分に及ぶ自分に課したビデオも見事に完成した。NHKの映像取材班も同行していて、バッテリーの充電などには、助けられた。
年が明けて1997年1月8日、NHK正月特別番組「白き天女の峰チョモラリに挑む」が放映され、カナダの我が家で衛星放送を見た。放送終了後、我家の電話やファックスが次々と鳴り出した。ほとんどが日本の中高年の視聴者からで、「中高年に対して、生きる希望と喜びを与えてくれた」と感謝の言葉を述べた。私とはまったく面識のない人たちにまで勇気と感動を与えることになろうとは、思いもよらなかった。
いつまでもチャレンジ精神を持ち続ける大切さを、大勢の人に理解して頂いたことを感謝したい。
[会報100号(2009年4月)より]