1981年 ア ラ ス カ の 山
2月に天野から持ち込まれた計画はメンバー総勢4名で、目標はマッキンレーカシンリッジとフォレイカー・南壁Or南東稜と決定した。登攀は全てアルパインスタイルで行うものとし、高所順応を兼ねて最初にウエストバットレスからのマッキンレーを全員で登ることにした。
(斎藤)
隊 名 :1981年 アラスカ名古屋山岳会登山隊
期 間 :1981年6月1日~7月2日
メンバー:隊長・斎藤安平、天野英雄、高橋優、冨田唱悟
行動概要
6月1日:成田~アンカレッジ
3日:アンカレッジ~タルキートナ
4日:タルキートナ~カヒルトナ氷河-北東カヒルトナ氷河出合
5~21日:登山活動
25日:アンカレッジ~マッキンレー国立公園
26~28日:マッキンレー国立公園~アンカレッジ
29~30日:アンカレッジ
7月1日:アンカレッジ~シドニー
7月2日:シドニー~成田
マッキンレー・ウェストバットレス
メンバー:L・斎藤、天野、高橋、富田
登山活動
6月5日:雪のち曇り・北東カヒルトナ氷河出合~カヒルトナパス
6日:晴・カヒルトナパス~BC(4300m)手前
9日:晴・BC~稜線4900m地点~プラトー5200m地点手前
10日:晴のち曇・プラトー5200m地点~稜線5750m地点~BC
11日:曇り・BC~プラトー5200m地点
11日からチームを2つに分け、天野,高橋隊は頂上へ、斎藤、冨田隊は高度順応を終えカシンリッジへ向かう準備。
12日:晴・プラトー5200m地点~デナリパス~山頂~プラト-
9時45分出発。トラバースを終えデナリーパスに出ると冷たい風が吹き付けてくる。広大なプラトーに出、突き当たりの200mの雪壁を登り切ると頂上への稜線がクの字型に続いていた。頂上は-25度。5200mまで駆け下った。
13日:晴のち曇 ・プラトー~BC(4300m)~LP(ランディングポイント)
(高橋)
マッキンレー・カシンリッジ
期 間 :6月12日~20日
メンバー:L.斎藤安平、富田唱悟
登山活動
6月12日:晴・北東フォークカヒルトナ氷河出合
13日:晴のち風雪・氷河を遡り、ウエスタンリブの下のアイスフォールに入りクレバスの迷路を抜けると広大なプラトーだった。風雪が激しくなったので氷塊の下にツエルトを張る。3250m。
14日:雪のち晴・午後から出発、すぐにホワイトアウトになった。上部プラトーをクレバス、氷壁の迂回等をやりすごし、15時30分ベルクシュルンドに着いた。明日の登攀開始を前にしばし日向ボッコ。3750m
15日:晴のち雪・ベルシュルントを越え、雪壁を2Pで300mの高度差を持つ、最難関のクーロアールの入り口に着く。チリ雪崩の落ちるクーロアールを12Pで、途中雪と岩のミックス壁2Pあったが・・稜線上のコルに抜けた。花崗岩とのミックス壁3P、雪壁2Pでナイフリッジに出た。
雪稜6Pで自然に出来た雪洞を見つけビバーク。19時30分、4250m
16日:晴のち雪・快適なビバークサイトを後に、雪稜2Pで500m余の第一雪田についた。太腿までの雪をコンテニアスで進み、カシンリッジの中間部を構成している岩壁帯に取り付いた。真っ白い化粧をした壁は雪を払いながらの登攀で9P登りロックガリーの下の稜線に出る。ロックガリー基部迄上がり、雪面を慣らしビバーク。18時、4800m
17日:晴 ・8時ロックガリーに取り付く。相変わらず雪を払いながらの登攀6Pで岩壁帯を抜けた。カシンリッジの技術的に困難なところは終わった。岩壁は更に急峻になって上に続いているが、ルートは右の懸垂氷河から巻いている。深雪のバンドトラバース4Pで第2雪田の広大な斜面にでた。稜線に出るクーロアールの末端まで苦しいラッセルでクーロアールの下のクレバスの中でビバーク。17時15分、5200m
18日:晴のち雪・7時30分、氷混じりの急な雪壁のクールアールに取り付く。疲労と空腹でピッチが上がらず、10時に登り切った。頂上が見えた。
稜線は広い雪壁になってきたが、激しい風雪の為現在地がわからず今日の登頂はあきらめビバーク。6000m
19日:晴 ・9時20分出発。30分程の雪の斜面を辿ると待望のカヒルトナホーンにたった。頂上まではほぼ水平な稜線だ。ザックを残し西側からの強烈な風に、手の感覚を戻しながら進み10時30分頂上にたった。
2~3枚写真をとり、早々に引き揚げカヒルトナホーンからはウエストバットレスに入り、強風の中を数張のテントがあった5200mのプラトーまで駆け下り、更に4300mのプラトーまで下りツエルトを張った。
20日:曇り ・15時ランディングポイントに向かった。カヒルトナパスのテントも少なく、シーズンの終わりを感じさせた。21時ようやく天野、高橋の待つランディングポイントについた。
(冨田)
フォーレイカー・南東稜
期 間:6月15日~20日
メンバー:L.天野英雄、高橋優
登山活動
6月15日:雪後時々曇・12時出発カヒルトナ氷河を横断、1800mの南東稜の
取付にスキーをデポ、南東稜の登攀を開始した。稜線2500mでビバーク。
16日:晴 ・カシンリッジの斎藤と交信、快調とのこと。9時45分出発、10日ぐらい前と思われるトレールと竹竿もあった。稜線を1時間詰めガラガラの急な岩場を横断、狭く急なクーロアールの入り口に着いた。
クーロアールと岩塔の間を18時に抜けた。そのまま直登して小さなクーロアールを登り、左側のセラック帯に出てみる。上部へのルートは試行錯誤の上、懸垂氷河の再弱点から突破することにして30mの凹部をトラバースし終えると頂上に続く雪稜が見え、核心部は終わった。
更に50m進み、セラックの下にツエルトを張った、23時30分、3100m
17日:晴・稜線の少し下を並行して走っているクレバス帯を4P、クレバスの切れ目から稜線にでた。無数のクレバス、ヒドンクレバスに片足だけを踏みぬくことも度々あった。雪庇の出ている急斜面を100mくらい登ると、稜線の先に頂上が見えた。早いが体が重くここで設営。16時、4100m
18日:曇・6時30分出発。稜と言うより大きな雪塊の間を縫って進み両側が開け、上部に岩場の見える斜面で登攀具をデポ、頂上へ進む。目の前の広い斜面でクレバスを踏みぬき、真っ暗な底を覗いた時は-40度の寒さを感じた。
30分で野球が出来るほどの広い頂上に着いた。写真を撮り、下山にかかったがクレバスを踏みぬいた広い斜面でホワイトアウトになってしまった。20分前後待ったが全く変わらず、天野が下りだす。続いていて少しずつ下りだすと突然視界が開けホットする。
張ってあったツエルトは、中まで真っ白になっていた。4100m
19日:晴 ・10時30分出発。2500mのテント場まで、殆どスタカット。
20日:晴 ・10時30分出発。スムーズに下り、デポしてあったスキーをはいてLPへ。LPでは無線のオバサンがビールを持って待っていてくれた。
(高橋)
[月報ANBAYO 40号(1983.3.31)より]