海外登山80周年会史から

1975年 充実のヨーロッパ・アルプス

1975年  充実のヨーロッパアルプス

斎藤 安平

隊 名 :名古屋山岳会アルプス登山隊1975
期 間 :5月25日~10月7日
メンバー:隊長・斎藤安平、光岡誠、小池照二

山域別行動概要
1. ドロミティ山群
6月8日 トファナ・ディ・ロツェス ポンパニンルート
L.斎藤、小池。 

コルチナの西に聳えるトファナ・ディ・ロツェス、右端のスピゴロ山稜(300m前後の岩稜)をアルプスの最初の登攀に選んだ。ザラザラで豊富なホールドの岩稜はグイグイと登ることができ、手もザイルもボロボロになった。

6月16日 チマ・ピコリシマ南東壁
L.斎藤、小池。 

ドライ・チンネの左端、チマ・ピコリシマ南東壁に取り付く。チマ・ミニマからチマ・ピコリシマ下部の広いバンドに移る。難しいクラックから頂上直下まで明了なチムニーを登る。直下で右のフェースに出て頂上に立った。

6月22日 チマ・ピコリシマ南壁
L.斎藤、光岡。

カシンによって開かれたこのルートは出だし容易な2Pで大テラスについた。難しいクラックに入り最後のオーバーハングをアブミで乗越し、小さなレッジに立つ。レッジからは短いデリケートなトラバースで浅い凹状の壁に入る。厳しい凹角の登攀を2P、南壁の肩に抜けるトラバースは真横に走っているクラックにぶら下がって抜け、最後に赤茶けたジェードルを登って肩へ出た。緩くなったフェースを左よりに登り続け19時頂上に立った。

6月24日 トファナ・ディ・ロツェス南壁
L.斎藤、光岡、小池。

 4級、700mの壁だ。最初の1/3は緩傾斜の壁を適当に登る。広い緩傾斜に出てから200m程トラバースして上部岩壁に取り付き、凹上部を4P登る。ルートは左へ広いバンドを4Pトラバース、最後はジェードルとチムニー2Pで登攀を終了した。雪稜を辿り頂上に着いた。

2.西部アルプス
 シャモニの谷から眺めるシャモニ針峰群には魅力的なルートが多々あり、我々の登攀意欲をかきたてる。最初の登攀にプレチエール針峰西壁を選んだ。

7月13~14日 プレチエール針峰西壁
L.斎藤、梶野   

 7月13日:ブラン・デ・ゼギーユから小一時間のアルプの散歩で取り付きへ。ブレクシュルンドを越えてから数Pは岩と土の混じった緩傾斜帯を登るとブラウンクラックが現れる。20mのツルツルのクラックだ。上部の数mは厳しかった。ジェードル、チムニーと困難な登攀で大きなテラスへ。左に大きくトラバースしてクラック、ジェードルを2個所、最後にニセのフォンテーヌビルへ抜ける垂壁を登る。
12時、オレンジ、サラミで一息。

短いクラックを登り、西壁の頂上直下から降りてきているクーロアールのふちまで行く。スラブ、楔の打たれたクラックを攀じ、稜通しに数10mでフォンテーヌビルに出た。目の前は、黄色の屏風のような壁でルートが分からず、右往左往している内に時間がどんどん過ぎ去っていった。ようやく壁の右端に抜けられそうなクラックを見つけた。ここでビバーク。
7月14日:昨日見つけておいたクラックをレイバックで回り込んで大きな凹角に入り、40m一杯で大きなテラスに着いた。ジェードルから凹角を抜けると左に北西稜が見えてきた。北西稜を途中でアイゼンをつけて登り、小さな岩峰を巻くと13時30分北東クーロアールのコルに出た。コルからグラン・デ・ゼギーユへ下った。

プレチェール西壁ルート図

 

7月26日:エギーユ・ド・ミディ南東壁
L.光岡、小池

 クラックの入ったジェードルはピトンのしっかり効いた花崗岩で快適な登攀だ。小ハングを乗越し確保、10m直上しカンテを回り込んでクラックに入り、ハングに頭を押さえられ、強引に越え大テラスに出る。アイゼンを付け氷の詰まった凹角を抜け、更に30mの氷壁を左上した。ミディ~イタリア間を結ぶロープウエーが頭の上をかすめて通過していく。カンテを越えてから左下へ10mの懸垂下降をするとコンタミンルートの最上部のクラックに出た。左へトラバースして直上、左上へ伸びるツルツルのクラックを体を使ってずり上がる。上のピナクルへ出た時はホットした。その上は又垂直で、ツルツルのクラックだ。全身を使い必死で頂上に抜け出た。

(小池)

7月28~30日: プチ・ドリュ北壁
L.光岡、小池        

 7月28日:シャモニ 13.00~モンタンベール13.30~ロニョン 15.00ウオーカーへの最終段階として、斎藤が17日に右腕に落石を受け骨折したドリュを選んだ。ルートはクラシックの北壁にした。
 7月29日:ロニョン7.00~第一水晶バンド下 19.30、ビバーク 浮石だらけのクーロアール5Pでテラスに出る。傾斜の落ちた岩場3Pで氷に詰まったクラックとチムニーに出た。氷がベッタリ、アイゼンを付けてずり上が
る。バンドを右にトラバースすると上部にハング気味のランベールクラックが見え、此処が下部核心部だ。アイゼンを外して突破、岩と氷のミックスのクーロアールを直上し右にトラバースすると氷雪田だ。
出歯を効かせて西壁の縁のテラスに出て、左に回り込みクーロワールの右側を直上、ビバークに充分の広さを持つテラスに出た。クラックを抜け、垂壁で右に廻り込むとマルチネクラックだ。中間部のオーバーハングを越え、更に1P登って大テラスに出た。核心部は終わった。
 厳しい登攀に気が付かなったが雪が降り出し、雷も近くなり、カラビナ、ヘルメットの金具がジージーと鳴り出す。気にしないようにして左のクラックに取り付き40m一杯でバンドに出る。
バンドからのルート選択を間違い、2時間のロスを被ってしまったが、雪と雷はいつしか遠のいていた。正しいルートを確認してからバンドに腰かけビバーク。
7月30日:ビバークポイント 6.00~ドリュ頂上9.00~シャルプア小屋18.00
クラックで始まり2Pで第一水晶バンド。アイゼンを付けクーロアールを2P で第2水晶バンドに出、雪と氷の多い岩場を直上して頂上。
「さあ降りよう」ドリュの迷路を。バンドを右へ2Pで、炎の岩稜に出る。素晴らしい眺望に最後の食料、1枚のチョコレートを二人で食べる。
岩稜を8P、左側のクーロアールに移り左へ、左へ4P、シャルプア氷河に飛び移った。シャルプア小屋で登攀具をザックにしまい、メール・ド・グラス氷河を下り、モンタンベール駅に20時。

小池)

8月7~8日:グランドジョラス・ウオーカー側稜  
L.光岡、小池、   

8月7日:レショ小屋 2.45~取付 4.15~5.00~灰色のツルム 19.30
ラテルネの光を頼りにモンマレ氷河を詰める。取付近くのクレバスを跨ぎ損ねて小池がクレバスに落ちかけた。運よくほんの少しはまり込んだだけだった。これからだというのに、肝を冷やした。
取り付きのベルクシュルンドでザックに腰かけ、明るくなるのを待つ。このビッグルート、斎藤が、ドリュ西壁で落石にあい骨折し、小池と2人、残念だ。
ベルクシュルンドを越え下部岩壁を8P、レビュファクラックは垂直のクラックだ。ザックを背負ってはとても登れず、途中のハーケンにデポして登る。ナッツ頼りの人工登攀だ。後続のイタリアパーティの2人はすぐ後を追ってきた。右下がりのトラバースから壁を登り「75mのジェードル」の入り口に出た。

下半部は人工登攀、上半部はフリーで安定したテラスで上部は青い氷壁だ。アイゼンを付け硬い氷に数回蹴り込んでジワリジワリ高度を稼ぐ。つま先がつらく、左の方を良く見ると、露岩に古い残置ハーケンがあった。必死の思いでトラバースした。上部は雪壁でバケツのようなトレールをたどり20mの氷の張ったチムニーの下に出た。チムニーを終えるとアイゼンを外し、いまにも切れそうな固定ザイルを支点にした振り子トラバースを、この上なく不機嫌で終えた。
ハングを越し大きなテラスに。ガスが出てアラレも降り出し、見る見る内に真っ白になったテラスから10mで核心部「灰色のツルム」の取り付きだ。最初のバンドを左に20m、クラックを人工で越し、40m一杯でバンド状テラスに立つ。
何時の間にかガスも切れ、アラレも止んでいた。ガリーに入り2Pで2段大テラスについた。まだ明るいがビバークにする。ツエルトを被るころには、夕焼けで壁全体が真紅に染まって幻想的だった。
8月8日:大テラス 6.00~頂上 16.45~グランドジョラス小屋 20.451晩中、すぐ横を通過する凄まじい落石の音に悩まされ眠れなかった。40mでツルムの頭に出る。小池は頭まで5mの地点で「アー」と言って振り子トラバースをヤッテのけた。上部はスッキリとした稜で快適な登攀が味わえ4Pでコルに立った。コルのテラスには、前日取り付いた日本人の4人パーティーが動き始めたところだった。ヤアヤアと挨拶を交わす。
 オーバーハングを2Pで、先行パーティーに追いついてしまった。上部の三角雪田から赤いチムニーにかけても4パーティーが取り付いている。順番を守り、登攀を楽しむことにした。三角雪田の上部のクーロアールは落石の巣で、ひと時の気も許せない。クーロアールの真中で小池と2人、ザックを頭に載せ息を凝らして時間が過ぎるのを待った。3時間も・・ 脆く不安定な岩と、テラテラ光っている蒼氷でアクロバチックな登攀となった。ガリーを20m詰め、テラスに少し登り、大きなピナクルで確保。ここからは難しいピッチはなく、気が楽に。右にトラバースして狭いガリーに入り、雪庇を越すと頂上だ。ありったけの声で小池と「バンザイ」3唱。ウインパーピークとのコルに突きあげているルンゼを駆け下り、アップザイレンを繰り返し、20時45分、雷雨に追われるようにジョラス小屋に入った。

光岡)