1972年 ア ラ ス カ
マッキンレー(6194m)、 カルヒトナ・ピーク(3912m)西稜
小川義夫/永井勝実
冬山トレーニング中に永井から、大阪府岳連のアラスカへのチャーター便(費用は正規の半額、期間は2週間)を利用する提案が出た。冬山合宿も終わり、5名のメンバーも確定した。情報を収集しているうちに名古屋学院大学アラスカ研究会が71年に引き続き、今年もアラスカへのチャーター便を飛ばすという話を得た。費用は変わらず、期間は4週間、7月初めの出発であった。府岳連の方へは正式に断り、名学院に5名の参加を申し込んだ。ルートはウエストバットレスからの登頂、そして日程が許せば、カルヒトナ・ピークの西稜を登ることになった。
隊 名:1972年・アラスカ名古屋山岳会登山隊
メンバー:隊長・小川義夫、副隊長・永井勝実、祖父江克己、三本健一、×吉川政男(名工大Ⅱ部山岳部)
期 間:1972年7月7日8月~8月4日
行動概要 7月7日・羽田~アンカレッジア
8日・アンカレッジ~タルキートナ~南タルキートナ氷河
9~15日・リレーキャンプ4個所を経てBCへ
16日・BC~西稜コル~アイスケープ手前~BC
17~18日・休養&降雪
19日・BC~西稜コル~アイスケープ(C1)泊
20日・C1~C2(デナリパス)
21日・C2~山頂~C2~C1~BC
22日・BC撤収~カルヒトナパス~リレーポイント2(RC2)
23日~26日・小川、永井 カルヒトナ・ピークへ、他は荷下
27日・RC2~ランディングポイント~タルキートナ
8月3日・アンカレッジ発
28日に三本がフェアバンクスで交通事故に。在住の富永氏に大変お世話になる。
登山活動
7月21日: マッキンレー ウェストバットレス・C1(4.00)~C2(5.30~6.30)~頂上(10.50~11.30)~C1(15.00)~BC(17.25)
永井と祖父江は頭痛がひどくC1に残ったが、とりあえずデナリパスまでと朝早く出発した。天気も良し、この調子なら行けそうだ。C2のメンバーと合流、全員5名で山頂に向かう。C2から主に稜線の左手を登る。しかし頭はますます痛く、呼吸も苦しい。足取りも軽く登るメンバーが羨ましいがどうしようもない。
やがて頂上へと続く広い雪原にでる。雪原を横切り、急斜面を登り頂上へ続く稜線にでる。もう少しだ、ガンバレ!。自分に言い聞かせながら1歩、1歩、頂上だ。ハンター、フォレイカーも遥下だ。苦しかったせいか、喜びが込みあがってくる。
苦労した登りも、わずか1時間でC2に着いた。C2を撤収、デナリパスか下りトラバースは急な斜面で神経を使う。BCまで下ることにし、コルからフィックスに頼り、一気に下る。込み合っていたBCには私達5人だけが残った。
(永井勝)マッキンレー(北東カヒルトナ氷河より)
7月23日: カルヒトナ・ピーク西稜
RC2(1.30)~取り付き(2.00~2.25)~岩塔(8.15~8.40)~BP(14.20)
真夜中、永井と共に取り付きへ向かう。スキーをデポ(2400m)し、迷路のようなクレバス帯を3Pで抜け、西稜線上へでる。コンテニュアスで登り、リッジ状になってからスタカットに移る。リッジ、雪壁の登攀を繰り返すと徐徐に傾斜も増し下からも見える顕著な岩塔に着く。
いいテラスで1本たてるが、先程からトランシーバーが入らず気になる。岩塔はツルツルのかぶり気味のスラブだ。左上し、アイスハーケンを叩き込み、ステップをきってジリジリ高度を稼ぎ、かぶり気味の出口の雪にスノーバーを差し込み、だまし、だまし40m一杯1時間ほどかかって上にぬけた。
更にリッジ、雪壁を7P程で急な雪壁になる。これを登り切ると向こう側は大きく切れ込んでいる。このピークの急な下りはいやらしかった。コルへ一旦降り、2P登り返すと上部雪壁の基部の岩場の下へ出た。西稜はここが丁度中間部で、リッジは終わり、上部は雪壁となって上部に続いている。日は高いが雪の状態が悪くここでビバークすることにした。
7月24日:BP(0.00)~核心部終了(12.15)~西峰(14.15~15.30)~東峰(18.25)~BP (20. 00)
出だしは、テラスから続くバンドを右へ、氷壁を1P登ると広い雪の大地に出た。アイスハーケンは苦労して抜いた。コンテニアス混じりで雪壁を9P、最後はルンゼ状の急な氷壁にアイスハーケンを連打し40m一杯で抜け、傾斜は落ちた。雪壁を3P、クレバスの中を1P、スノーリッジを渡り上に出る。
もうこれで終わりかとコンテニアスで進むとカブリ気味の雪壁に突き当たった。アブミにぶら下がって抜け、更に1P進むと傾斜は落ちる。スタカットで3P、コンテニアスで進んだが、頂上へは中々着かない。ガスがひどくどこを登っているのかわからなくなる頃やっと広い頂上に着いた。14時間の登攀だった。
広すぎる山頂は降り口がはっきりせず、ガスは晴れそうにもない。手持ち装備も少なく、西稜ではなく東峰にでてその南稜を下ることにした。痩せたリッジを下り、長い登りを繰り返し、雪壁に囲まれたピークを左手から巻き気味に頭にでた。東峰のようだ。
左下へは痩せたリッジが急激に落ち込み、カルヒトナノッチへ続く尾根のようなので、右手のリッジをたどる。コンテニアスからスタカットに切り替え6~7P下り、少し緩くなったところで1本立てる。視界も効かず、雪も降り出したのでこのままビバークすることにした。交信はやはり出来ない。なんとしても明日中には下らなけれ・・
7月25日:BP(6.30)~東カルヒトナ氷河支流(23.50)
相変わらず雪は降り続け、視界も悪い。右手の広い斜面にルートを採った。少し下ると細い尾根となり傾斜も強く、新雪の下は氷になっており、スタカットで下る。
雪は激しく、尾根を見失いがちになる。尾根上にもクレバスが走っており神経を使うが、傾斜も緩くなり、時折薄日が差しちょっと気が楽になる。何ピッチ下ったか分からないが尾根はほぼ水平になる。東カルヒトナ氷河側の斜面を進むと尾根は下り始めた。
岩場の混じった斜面を下りるとこの先は氷壁となって急激に氷河へと高度を落としている。氷壁、ルンゼ、岩場を爪先が痛くなるほど蹴り込み6P下ると、氷河へ切れ落ちている岩壁の上部にでた。岩場は垂直の切れ落ち下の状態は分からないので、右に回り込む。
ツアッケに全てを託しカチカチになっているルンゼを、口を「への字」に曲げてジリッ、ジリッと渡り切り2Pで岩場にでる。ルンゼは滝となって落ちており、この滝さえ降りれば、ルンゼ状の氷壁を下るだけだ。ザイルは届くだろうか?
岩角にシュリンゲを掛け、ナムサンとザイルを放り投げた。ザイルは下の斜面に広がった。カブリ気味の滝を飛び越え、ルンズに降りカチカチの氷壁を1P、シュルンドがあるのでスクリューハーケンを打ち、飛び越えるようにして氷河に出た。なんとか無事着くことが出来たが、最後に残ったわずかな食料でつかの間の腹ごしらえをする。
7月26日:氷河(0.30)~RC2(7.00)
40分の休憩、ツエルトをかむり、最後のスープを飲みほし、終え重い腰を上げる。ラッセルは酷く、時々腿の辺りまで入り込んでしまう。念の為、ソット足を踏みこんでみると、足は宙をけっており、ゾーッとする。少しでもその気配の有る個所は這って進む。
支流から東カルヒトナ氷河に出て、その心配は少し薄らいだが相変わらずズボッ、ズボッと潜り、消耗する一方。カルヒトナ氷河に出ると、ラッセルは無くなったが、フワッ、フワッと景色が動き、千鳥足でザイルを引きずるようにしてテントに辿りついた。
(小川義) [月報ANBAYO 40号(1983.3.31)より]