1962年 東京都岳連 ビックホワイトピーク7083m
加藤 幸彦
1960年 東海岳連隊、1961年 大阪岳連、東京都岳連合同隊が相次いで失敗したジュガールヒマール主峰遠征計画は1962年 東京都岳連単独による全日本第3次遠征として実施され、初登頂に成功した。全岳連初の登頂成功だった。
期 間 2月3日~5月下旬
メンバー 加藤幸、×7 隊長、高橋照、副、中野満、高橋誠、秋山正人、
安久一成、森田格、石田嘉一 (東京都岳連)
2月3日 神戸港を出港
3月14日 カトマンズからキャラバン開始。隊荷7トン、200人のポーター、
サーダーはナンガパルバットで勇名をはせたダージリンのアンツエリンⅠ、他、
ローカルポーターを含め14名
3月24日 11日目にBC(4075m)入り
28日 C0 4450m
4月 2日 C1 4420m、11日 C2 5020m 物資集積所 3トン
14日 C3 5380m、16日 C4 5640m
19日 C5 5960m 前進基地とする
28日 C6 6450m、30日 C7 6850m
5月 2日 稜線直下の150mの氷壁を突破、
3日 初登頂に成功。
安久、森田隊員は、氷稜を、片足をチベットに、片足をネパール側に馬乗りで伝い進むなど、
頂上直下100mはオールステップカットで、午後3時3分頂上に達する。
4日 雷が鳴るような悪天候で、真白になりながらラッセルのやり直し、
全員C7に集合する。
5日 加藤、高島隊員が9時30分、中野、石田、秋山隊員が11時30分
登頂に成功、隊員全員登頂を果たす。
今シーズン、フランス隊のジャヌー(7710m)初登頂に次いでヒマラヤ2番目の成功。
5月12日 BCに帰着、
17日 BC撤収する。